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『軌跡』■4・重い扉



   □■□ 第4章 重い扉 □■□


世界規模の大戦争は拡大化し東西に広がっていった。

家族を守り幾多の危機をかいくぐりながらやっと日本に帰り着いた父は、その安堵感からか東京に安住の地を求めようとしたようだった。
池袋にほど近い椎名町というところに、周りからはお屋敷と呼ばれるほどの大きな家を建てたのである。
ソビエトを含む西側諸国が戦火を激しくさせている中で、まだ全面戦争に突入していない日本にはいくらかの余裕があったのだろうか、父自身にも東京は安全という意識が働いていたのかも知れない。戦時下にある中でとにかく父は椎名町に大きな家を建てた。

それと期を同じくして、父は突然外務省を辞めた。それまで外交官として歩き続けていた父の突然の離職。何があったのだろうか…その理由は母さえも知らない。
もしかしたらその退職金を全てつぎ込んで家を建てたのかものかもしれない、などと推測するが定かではない。ただ、父の思いの中には、ひとり暮らしの母親を放っておく訳にはいかない、引き取って同居したいと強く思っていたのは確かなようだ。その思いの強さが家を大きくさせたのかも知れない、もしかしたら母親への息子としての見栄だったのか、または一世一代の親孝行をしたかったのだろうか。
男兄弟が多い中で次男の父だったが、既に軍隊に入隊するなどしている兄弟に代わり、自分が母親を守らねばと気持ちが逸っていたのだろう。

しかし思惑は外れ東京は安住の地とはならなかった。
1941年の12月に日本が真珠湾攻撃をし、大国であるアメリカに宣戦布告をしたのである。
戦争は一挙に全世界へと拡大していった。同盟を結んだ日本・ドイツ・イタリアはアメリカやイギリスなどの連合国軍を敵にまわして太平洋戦争へと突き進んでいく。
同じ年のまだ浅き春に帰国したばかりの家族も、キリキリと戦争に巻き込まれていった。

東京の空に爆音が轟き、空襲警報が鳴り響くようになっていったのだろう、危機感を募らせた
父は、新しい家が完成してまだ1年も住まないうちに家族を故郷の長崎に疎開させた。
その後、東京は終戦の年の3月、アメリカ軍の夜間爆撃により焦土と化した。
いわゆる東京大空襲である。
椎名町の家もそのときに焼失してしまっている。
後で知ったのだが、家を建てる時、地主さんが土地を手放さなかったため仕方なく上物だけを建てたというのだが、そのために家族は全財産を失い一文無しになって放り出されたのである。
焦土の中でも土地だけは残るが、その他のものは殆ど焼け落ち破壊され何も残らない。
土地さえ持っていれば何とかなる、という土地神話はこの体験から生じたのかもしれない。

第二次大戦は日増しに激しさを増し日本中の人々が何らかの形で戦争に加担させられていった。
若者は戦いの最前線へ送り込まれ、命を落とした。
父は軍属の大佐級として満州の北東に位置するハイラルにホテルの支配人として派遣された。
ロシア語が堪能ということで何か特別の使命があったのかも知れないが、父は生涯、心の扉を固く閉めたまま決して開けようとはしなかったのて゜真実は全く分からない。
ソビエト軍によってホテルは爆撃され、父は捕虜となりシベリアに抑留された。
爆撃によって頬に深い傷を負い、過酷な収容所生活で重度の胃潰瘍を患い、吐血を繰り返し失神した父を、一緒に捕らえられていた部下の人たちが身体で必死に温めてくれたという。
極寒の地、シベリアでのことである。
部下の人たちに支えられた父は、その気持ちに応えねばと絶食療法を試み、少しずつ治癒していったという。死と直面した父は一命をとりとめたが、同じ病にかかっていた部下が、病状は軽かったにもかかわらず亡くなってしまった。私の身代わりになって死んでいった…と、父は後日、この出来事を何度も話してくれた。よっぽど辛く悲しいことだったのだろう。

1945年の8月、戦争は終結した。
勝算ありと仕掛けた戦いだったのだろうが、広島・長崎への二度にわたる原爆投下を受け、敗戦を認めざるを得なくなり、もの凄い数の命と引き換えに、考えられないほどの犠牲を伴って、やっと戦争が終わった。

終戦となったことでシベリアの捕虜たちは釈放され、貨車に積み込まれて新京までたどり着いたという。そこで父は知人から薄い布団を一枚貰い受け、それに包まりながら長い時間をかけて帰還してきた。
それは終戦から2年の後であった。

汚れた服、伸びた髭、頬の傷、そして眼光の鋭い人が疎開先に現れたのは私が4歳の時であった。
家族がどこに疎開したのか知らなかった父は尋ね尋ねてやっとたどり着いたという。
初めて目にした父の風貌があまりにも怖かったので、私は恐怖心を持って父を迎え入れた。

私たち家族の戦後はここから始まる。

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Author:popo
●笹井鳩子profile

 中央林間にある大和田園幼稚園に6年、横浜鶴見の橘幼稚園に34年勤務。(内28年を園長として、2年を顧問として務める。)
長い間幼児教育の道を歩む中で、シュタイナーの人間学に出合い教育観を深める。
また、経験を通して「人は人の中で人となる」を実感する。
退職後、「自らの手で作る喜びを味わう」・「人が出会い絆を結ぶ」、この二つを実現すべく、創造と交流の場として『創造空間Lula & Popo』を開設。

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