創造の場(ルラポポ夢​クラブ)が広がります​

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■□■ 創造の場(ルラポポ 夢クラブ)が広がります​■□■

創造空間Lula&Popoは5月よりリニューアルオープンします。
これまではショップと教室が店舗1Fの空間にて同居していましたが、新しく2Fスペースが加わりましたので、ショップと各種活動の場を分けることにいたしました。
販売部門としてのショップは中2Fの商品も全て1Fに移し、ショップコーナーとして充実させております。

ちなみにショップ内は
・天然石コーナー、
・アクセサリーコーナー、
・輸入玩具・雑貨コーナー、
・手作り作家コーナー   となっております。  
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今後、中2Fは事務及び少人数の教室として使用し、多人数が活動する各種教室、その他は更にその上の2Fの広いスペースを使用いたします。  
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新しい空間(2F)ではこれまでの教室
(人形作り、レザークラフト、泥だんご・土絵、羊毛製作、ビーズアクセサリー製作)
などの手仕事(クラフト関係)及びライアー(ドイツ生まれの竪琴に似た楽器)教室、ひかりクラス(親子オイリュトミー)や新たに子供や大人のためのオイリュトミー教室を設けて引き続き活発な活動を行ってまいります。

どの教室も新規に始めたい方を募集いたしておりますのでお気軽にお問い合わせ下さいますようお待ち申し上げております。

また自由な集いの場としての「ひろば」開設、季節のイベント、貸しホールなど、多くの方に楽しんでいただける空間にしたいと、2F活動スペースを「ルラポポ夢クラブ」と名付けました。
目の前にある何気ないものたちにほんの少し手を加えるだけで素敵に変身させることができるのは創造する力です。
またこの創造の力は未来を作り出す原動力でもあります。今の時代の抱え切れない程の苦難に立ち向かっていけるのも創造の力ではないかと思います。
みんなでこの新しい空間を共有しながら創造の夢を大きく広げていけたらいいなとワクワクしながら想像しています。

つきましては、
ルラポポ夢クラブのオープンと創造空間Lula & Popoの2周年を記念して、以下の通りオープニングパーティーを開きたいと思っています。
ゴールデンウイーク明けの平日ですがどなたでもご参加いただけますので、是非、日常の喧騒から離れて静かな空間に身を置いてみませんか?
当日は、素敵なライアーの響きに耳を傾け静けさに包まれて眠り込む感覚、そして、体のリズムに心を添えて様々な動きの中で生き生きと目覚めていく感覚、その二つを楽しんだ後は和みのティータイムとなっております。
小さいお子さんもご一緒できますので遠慮なくご参加下さい。

オープニングパーティー
5月7日(月)11時開始
・ライアー演奏
・みんなで楽しく動きましょう
・お茶とおしゃべり のティータイム…約1時間15分の予定です。

尚、参加費は無料です。参加のご希望は出来るだけ事前にお知らせいただきたいのですが、当日直接の参加もお受けいたします。それでは楽しみにお待ちいたしております。


→参加申込みページへ

春の日に思う


■□■  春の日に思う  ■□■


 私の大好きな詩人、サトウハチローさんの詩集「おかあさん」という本には、お母さんと子供を繋ぐ愛の絆が「詩」という形で沢山たくさん綴られています。そんな愛溢れる詩集を読んでいると私の心まで優しさで満たされていきます。その中の一篇に「坊やよ坊やよよくごらん」というのがあるのですが、その詩は「春はむかしと同じだよ ママがおんぶでいた時と そっくりそっくり同じだよ」と、坊やに「よく見てごらん」と語りかけています。その詩を読んでいて思いました。この詩のように、春は昔と同じだよ…と我が子に語ってあげたいけれど語れなくなってしまった人達が大勢いるということを。
あの、悪夢のような大震災の日が一年という時を経て再び巡ってきましたが、春間近なその日は昔とは全く変わってしまっていました。夢なら目が覚めた時点で終わってしまうことも現実に起きたこととなるとそうはいきません。1年を経た現在も癒されることのない傷となって心を掻き乱し、いつになったら昔のような平凡だけれど温かく優しい春が巡ってくるのか、先の見えない苦しみに心を縛られている人達が沢山いらっしゃるということを思いました。あの災害が地震と津波という自然災害だけだったらもっと早く明日に向かって歩きだせたかも知れません。でも、予想だにしなかった原発事故という人的災害が被害を巨大化させてしまいました。
生まれ育った故郷を失い、当たり前に過ごしていた日常も当たり前ではなくなり、そして多くの愛の絆が断ち切られた無念さは測り知れないと思います。

今現在もそんな状況下に置かれている人達がいる一方で、世間一般は過去という時の流れの中に1年前の事を埋没させようとしています。あの日誰もが味わった緊迫した状態での恐怖や危機感は薄れてきました。日本中の誰もが被災された人達を思い、じっとしてはいられない、何かしなければ、という焦燥感にも似た感情の中でボランティアに駆け付けたり自分なりの支援の動きを始めたり、そしてその輪は大きく広がっていきました。でもそんな気持ちを持続させるのには強い意志の力が必要です。忘れ去らない、風化させないとの思いを持ち続ける事は至難の技ですが、被災された人達は「忘れないで」という事を何より願っているのだろうと思います。この1年「絆」という言葉がみんなの共通語になりました。こんなに人を思い、人のために何かをしたいと思ったことはなかったかも知れません。
誰もが、日常の生活を変わらずに営める事の有り難さを知りました。だから…子供達に「春は昔と同じだよ」と語ってあげられる日常を一日も早く取り戻してあげたいという気持ちでいっぱいになります。何をどうすればいいのか、ひとりの微力な力では不可能と思ってしまいますが、1年前のように日本中の人の「絆」の力を結集させれば実現できるのではないだろうか…と、春の日に悶々と思っている私です。

(Q-onへの連載より)

オレンジバラ*花言葉:信頼・絆・愛嬌

新たな年に

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随分長い間「たんこぶ」から遠ざかっている内に新しい年が始まってしまいました。
1年中で最も寒い大寒の今は、日本の北国、特に北海道では42年ぶりの豪雪に悩まされているとニュースで取り上げられていました。

私自身は九州の西の端、長崎出身ですから雪とはあまり縁が無いように思うのですが、小さい頃の思い出の中に雪の記憶がしっかりと残っています。雪だ、雪だと喜んでいる内に消えてしまうような淡雪が多かったのですが、時折降りつもるどか雪 たまに降る雪が珍しくて子ども達はおおはしゃぎ、寒いことなんてなんのそので外に飛び出して行き雪と戯れました。
雪合戦や雪だるま作りは勿論のこと、お盆の上に雪ウサギを作って好きな場所に飾りました。真っ白なうさぎの目には南天の赤い実、可愛いさと溶けていくはかなさを子どもの目でじっと眺めていたのを思い出します。
私のお気に入りは雪釣りという遊びでした。長さが5センチ程の小枝の真ん中に長い紐をつけます。小枝には予め雪をボールのようにくっつけておきます。紐を持ち雪の上にポトンと落とすと小枝の雪のボールが新しい雪をくっつけて次第に大きくなっていきます。たくさん雪を釣って太らせていくだけの単純な遊びは、年齢や身体の大きさより以上に力を発揮するものがありました。他の人より早く大きくしようと焦ったり欲張りすぎるとつぎの瞬間にドサッと落ちて元の黙阿弥年下で小さかった私でもふっふっふっとほくそ笑むことが出来るのです。
釣るための技もくっつきやすい雪を見分ける目も必要ですが、慎重にじっくり取り組む、つまり性格が物言うこともあるわけです。誰が1番多く雪を釣れるかの競い合いは、時に弱者の味方をしてくれるものですから楽しくてたまりません。思い返せば当時の子どもたちはみんな鼻水を垂らし手足はアカギレや霜焼けで真っ赤でした。そうそう思い出しました。真っ白な雪をお皿にとって砂糖をかけて食べたこともありましたっけ…。それが本当に美味しかった汚いからやめなさいと親から叱られた記憶はありませんので親の目を盗んでやっていたのだろうと思います。真っ白な雪は美味しそうで、それでなくても大きな口を開けて降る雪を口で受け止めたり新雪を手で掬って口に入れていましたので、年長の誰かが思い付いて始めたのではないでしょうか。おやつが十分になかった時代ですから火燵に潜りながら食べた甘い雪はアイスクリームに負けない美味しさだったのだろうと思います。

寒さなんてそっちのけで遊んだ雪遊びですが、普段は、寒い寒いと言って火鉢の側から離れなかったり火燵に潜り込んで怠惰になってしまいます。すると「冬は寒いに決まっている」と親に叱られました。現在のように住環境が整っていない時代ですので暖をとるのはもっぱら火鉢や火燵です。1番暖かい場所、つまり真ん中の炭火の真上に手をかざしたり足をもっていこうものなら、兄弟の誰かから「退けっ」とばかりにパシッとやられてしまいます。でも火鉢をみんなで囲んでお餅を焼いたり、カルメ焼きを作ったり、火鉢に手をかざして「どのお煎餅が焼けたかな…」と、けらけらと笑い合う手遊びが家族の絆を強めるのでした。火燵に潜り込んでジャレあって遊んだ思い出や隙間だらけの古い木造の家に木枯らしが吹きこんできたり…、本当に寒かったものです。母が縫ってくれた綿入れ半纏の下に何枚も何枚も重ね着してダルマさんのようになりながら冬を過ごした思い出が何十年経った今でも鮮明に甦ってきます。なんて心がほっこりと温かくなる思い出なのでしょう。それに自然の冬といったら筆舌に尽くし難い美しさでした。

何センチも土をもたげてしまう霜柱や水溜まりに張った氷は、サクサク・パリパリッという音と足の裏の感触が一緒になって一気に甦ってきますし、目を輝かせて見入った霧氷の綺麗さたるや見た者でないと共感出来ない世界かも知れません。自然が創り出す現象、霜柱や氷やつららもさることながら、朝日や夕日にキラキラと輝く霧氷はまるで樹木に自然のイルミネーションを飾ったかのようでした。子ども心ながら「なんて綺麗なんだろう」と感嘆したことを思い出します。寒い冬ならではの様々な出会いは、何十年の時間の流れの中でもセピア色に変色せず鮮やかな映像を甦らせてくれました。

若い頃のことです。旅先のハワイで「ハワイは常夏で羨ましい」と現地に住む方に言ったことがありました。するとその方から「日本には四季があって羨やましい」という返事が返ってきました。
本当です。四季は私たちにたくさんの潤いをもたらしてくれます。その季節ならではの恵をもたらしてくれます。生活にメリハリをもたらしてくれます。今回は記憶の紐を冬にしぼってひもときましたが、春には春の、夏には夏の、秋には秋の色鮮やかな思い出があるのです。  
昨年の3月11日、この美しい日本を想像を絶する自然災害が襲いました。それ以上に脅威をもたらしたのは人的災害!
これから何十年に及ぶか解らない見えない敵との闘いを、私たち大人は子ども達に残してしまいました。子ども達が人生の晩年になって自分の小さい頃を思い出した時、甦って来る映像はガレキの山と化した故郷の姿でしょうか、災害の際に受けた恐怖でしょうか、この映像を美しいものに変えてあげられるのは誰なのでしょうか。現在の大人がしてしまったことは何とか現在の大人達の手で解決したいものですが、誰がどんな風にしたらいいのでしょうか。また、私には何が出来るのでしょうか。難題が山積していますが一刻も早い取り組みが必要であることは変えようのない事実です。一日でも早く…!


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体験しました


■□■ 体験しました(白内障の手術)■□■


 何年か前から、目の前の景色が薄い霧に包まれたように霞んで見えるようになりました。最初は「おかしいな?」と思い、しきりに目を擦って正常に戻そうとするのですが直りません。その頃ワープロでの作業が多かった上、苦手なパソコンにもチャレンジしなければ…、仕事上携帯電話も必要…と、機械の画面とにらめっこすることが多くなっていましたので、それが原因で目が疲れているのかも知れないと気にせず過ごしていました。 ところが、霞むだけでなく眩しい。太陽や対向車のライトがまぶしすぎて目を細めたり、目をそらしたり、まともに目を開けていられません。こんな状態で車の運転をしていては事故につながる…と、手術をしようと決断しました。

 実を言いますと小さい時から怖がりで、特に目は尖端恐怖症のようなものがあって、目にゴミが入っても洗えない、目薬も上手にさせない私ですから、今回の決断は、まるで「清水の舞台から飛び下りる」ほどドキドキの決心です。巷では白内障の手術は簡単!と言われているようですが「一歩間違えば失明にも至る危険はある」とのことで、 信頼出来る医師の指示をきちんと守らねばなりません。幸い姪の夫が眼科医なものですから、彼の紹介で通院が始まりました。

 いよいよ手術当日、もう引き返すことはできません。覚悟を決めて初めての体験に身を委ねることにしました。手術の詳細は省くことにして、最初は緊張で身体を固くしていましたが、手術の緊張を和らげようと、私は手術の最中に何が目に映るのか見ようと思いました。
目の中に色が現れています。主に赤と青と黒、でもよく見ると真ん中に深緑色の5角形状のものが映っています。家の形に似ています。何だろうと思っているその形はやがて消え、目の中はまるで子どもたちが描く三原色のにじみ絵のように赤や青の色たちが広がったり縮まったり、変化しながら自在に立ち現れます。瞳のところを虹彩という理由が判ったような気がしました。でも黄色が出てきません。それが不思議です。色彩の基本三原色の黄色がない…と思っていたら、突然黄色が入ってきて目の中に広がりました。瞬間、私の目に新しいレンズが挿入されたと実感しました。そして5角形の緑の家も復活です。
私が見たものと実際の手術との関係はよくわかりませんが、きれいなにじみ絵を見ていたことで、緊張と不安を最小限に留めることができたことは確かです。
いずれ、もう片方も…、その時は もう少しリラックスしてその日を迎えられるのではないかと思っています。

ひかりの子ども、じゅん君(その2)

■□■ ひかりの子ども、じゅん君(その2) ■□■

 何日か前にじゅん君は3歳の誕生日を迎えました。
その2週間位前から小学4年生のお姉さんはそわそわ! お店の商品をあれかこれかと探しています。聞くと、自分のお小遣で買える範囲の誕生日プレゼントはないだろうか?というのです。そこで、届いたばかりの 玩具(木製の動くバッタ)を「これはまだ少し早すぎるかな…?」と言いながら見せますと、お姉さんはすっかり気に入って
 「それがいい! だって、小2の弟も喜んで一緒に遊んであげると思うから…」
と、二人の弟を思いやるのでした。

ひかりクラスの当日(親子のオイリュトミー)じゅん君は3歳になりました。つい先日までは一生懸命模倣していた手あそびやリズムあそびの動きを、最近はわざとやろうとしなくなり、お母さんに抱きついたり走り回ったりするのです。やるように促すと「イヤッ」と拒否する一方で、自分のお気に入りのものの時は率先してやっています(ああ、この姿去年のゆう君と同じだ!)。
大人の思惑などなんのその、全くもって「我が・まま」なその姿に大人達は振り回されそうになりますが、「来たなっ!3歳の反抗期!」と同ぜず心して見ていますと、3歳という年齢の大きな成長の姿が見えてきます。
そう言えば最近は急に言葉が増えました。その日じゅん君は突然絵を描きました。くるくると真ん丸に塗り潰した丸を二つ描き、その外側を円で囲んで、「しぇんしぇい(嬉しいことに私だそうなのです)」を描いたのだと言うのです。円は始点と終点がきちんと結ばれ、円として完結しています。
人の顔…を描いたじゅん君ですが、その絵はまさに自分。今までは外の世界と自分とが一体だったけれど、円を閉じて内と外に境界をつくり、更には円の中から外を眺める大きな目!その絵からは現在のじゅん君の成長の印しを読み取ることが出来ます。言葉が増え、イヤッと拒否し、やってはいけないことをやって大人の反応を見、外の世界への好奇心でいたずらしまくり、言うことを聞かない…という3歳児の姿は、自分の中にしっかりと「ボク」が存在し始めた証なのですね。ボクとしての自我の目覚めの時期、手に負えないとぼやきたくなるかも知れませんが、成長を喜び、大きな愛で包み込んであげたいですね。

20110831junkun B-day

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プロフィール

popo

Author:popo
●笹井鳩子profile

 中央林間にある大和田園幼稚園に6年、横浜鶴見の橘幼稚園に34年勤務。(内28年を園長として、2年を顧問として務める。)
長い間幼児教育の道を歩む中で、シュタイナーの人間学に出合い教育観を深める。
また、経験を通して「人は人の中で人となる」を実感する。
退職後、「自らの手で作る喜びを味わう」・「人が出会い絆を結ぶ」、この二つを実現すべく、創造と交流の場として『創造空間Lula & Popo』を開設。

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